さて、7月10日(日)に近づく創作能「亀戸の藤」(原作・脚本:コラール伊織)の告知をさせていただきます。
中央線阿佐ヶ谷駅北口から徒歩2分のザムザ阿佐谷にて、昼の部は午後1時開演、夜の部は午後5時開演です。(開場は開演の30分前)
太平洋戦争時、沖縄戦を戦った米兵と日本兵のスピリットが、戦後五十年を経て(物語において)、東京は亀戸天神社において、出会います。
この話を書くきっかけとなったのは、私の夫の叔父にあたる方の物語を聞いたことでした。

71年前、太平洋戦争時は沖縄戦を米兵として戦い、九死に一生を得て、その後東京で進駐軍として務めていた彼が恋をしたのは、東京で出会った、日本女性でした。
二年の後、彼は母国アメリカへ帰ることになりましたが、彼女のことを、生涯、繊細でやわらかな記憶をもって、思い続けていた、といいます。
現在言うところのPTSDに生涯苦しみ、毎夜のように酒場へ行っては喧嘩を繰り返していたという彼は、42歳の若さで亡くなりました。
この創作能「亀戸の藤」において、彼は戦争の後遺症をも生き延びて、面影の女性を探して、東京を再訪します。
思い出の土地、亀戸天神社で出会ったのはしかし、その女性の亡くなった夫、沖縄戦で戦死した、日本兵の霊でした。
この物語を書くもうひとつのきっかけとなったのは、叔父さんが戦った沖縄の地に、夫とともに、二年間住んだことでした。
大阪に生まれ育った私にとって、沖縄本島の20%を占める米軍基地の存在は、驚くべきものでした。
どこへ行っても基地がある、
どこへ行っても、米軍機の音がする、
どこへ行っても、フェンスで阻まれている、
そして、繰り返される米軍兵による、事件の数々、
私自身の祖母は、広島は福山で生まれ育ちました。踊りの天才少女と言われた祖母は、幼いころ、その母とともに、良い踊りの師匠を求めて、大阪に移りました。
太平洋戦争のころ、広島に疎開していた祖母は、原爆を経験しました。爆心地からは離れていたので、命に別条はなく、後になって、視力を失ったのみで、93歳で亡くなりました。
太平洋戦争に参戦することによって、日本は、大きな犠牲を、他国の民にも、自国の民にも、強いることになったのでした。
あのとき、もう二度と、繰り返すことはないように、
そう誓ったはずなのに。
今の日本が、どのような方向に向かっているのか、それは、私たちの子供、孫、そののちの世代の人々に、希望と光を、愛することと赦すことを、教えてくれるものであるのかどうか。
日本人として、日本の未来に、責任を持つ、ひとりの大人でありたい、
そう思ったことが、この物語を書くきっかけでした。
物語の趣旨に賛同してくださったのみならず、台本の構成から、細部に至るまで、多大なる助言をくださり、また米兵として出演してくださる、白拍子舞と仏教声明の桜井真樹子さん、
アイとして、物語の背景を語ってくださる、前衛パフォーマーの吉松章さん、
これでもかというくらい、無理な注文をたくさん聞いてくださった、義太夫の竹本越孝さん(太夫)と鶴澤寛也さん(三味線)、
スケジュールを押して参加してくださる、小鼓の藤舎呂裕さんと笛の福原百恭さん、
舞踊を通して、平和を志す思いを表現したい気持ちは同じです、とおっしゃってくださった、振付をしてくださる、地唄舞の花崎社季女さん、
プロデュ―スから演出まで、パワフルにサポートをしてくれる、私の母、吉村厚美、
みなさまのおかげで、ここに、上演をさせていただけること、心から感謝いたします。
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