わたしのからだはわたしの魂の社 part 2

人が絶望するとき、それは、その人が、その人の人生を、どうすることもできない、と感じてしまうとき、といってもよいかもしれません。 わたしたちは、わたしたちの人生を、自分自身の意図によって創造していくことができていると感じているときは、大概のことがあっても、乗り越えていけますよね。 たとえ、それが、失敗したという挫折感であっても、自分自身の手で人生を創造していくことができているという確信があれば、それでも、立ち上がっていくことができる。 そうではなく、自分自身によって、自分の人生をどうすることもできない、と感じてしまったとき、わたしたちは、人生に絶望するのだと思います。 もしそのような状態に陥ってしまったとき、あなたなら、どうしますか? きっと、生きている限り、絶望を経験することは誰にも起こりえるし、そうして、千人いたら千通りの、回復への道のりがあるのでしょう。 わたし自身が、動けなくなるほどの気持ちの落ち込みを経験したとき、行ったことは、やっぱり、「からだをうごかす」ということでした。 わたしのからだを動かす、ということは、極限の状態にない限り、多くの人にとって可能なことだと思います。 それもできない、というときは、ただ呼吸をする。 お腹の中にある空気をできる限り吐き出して、そうして、自然と空気が入ってくるのを感じます。 それを何度か繰り返します。 もっと新鮮な空気が吸いたいと感じて、窓を開けたくなるかもしれません。 開けてください(^^) そうして、できたら、歩いてみてください。 歩く、ということに意識を集中して。 そうして、右足から左足に、左足から右足に、重心が移動するのを、体感で感じてみてください。 かかとから歩くことを心掛けると、重心が移動していることを感じやすいかもしれません。 ゆっくり、時間をかけて、わたしが歩いている、ということを、感じて、経験してみてください。 そうして、ふと止まって、一つ呼吸をしてみて。 そうして、また歩き出します。歩くこと、止まって呼吸をするということを、何度か繰返しやってみて。 次に、自分の周りの空気を感じながら、ゆっくりと、舞うように、歩いてみて。 誰も見ていないのだから、上手とか、下手とか、気にしないで^^ 気が済むまで空気と一緒に舞うことができたら、深呼吸して、座ります。 画用紙とクレヨンがあったら、鉛筆でもいいです、好きな絵を描いてみてください。 子どもの落書きのようなものでも大丈夫。 絵が描けたら、その絵を見ながら、思いついた言葉を裏に書き出してみます。 次に、その言葉を好きなように並べて、簡単な詩をつくってみて。 ちなみに、これは今朝のわたしの「詩」です: 「ツクツクボウシが飛んでいる わたしがいっぱい飛んでいる あなたとわたし ここにいる」 ね、簡単でしょう?(笑) 絶望を乗り越える、ということと、歩く、絵を描く、(簡単な)詩を書く、ということとの間に、大きな隔たりを感じる方もいらっしゃるかもしれません。 そうなのかもしれません。 ただ、わたし自身にとって大切だったのは、わたしがわたしの生の創造主である、という感覚を、わたし自身が取り戻すということでした。 すなわち、いまという時、ここという場において、わたしは、わたし自身の意図によって、呼吸をし、からだをうごかし、絵を描き、そうして文章を紡いでいる。 わたしの人生は、今、わたしにとってどうすることもできないようなものかもしれない、でも、いまという限定された時、ここという限定された空間において、わたしはわたし自身の生の創造主であると。 そうすると、人は不思議な生き物なので、 なんとかなるのかな、と思ってしまう わたしが、創造主 Creator として、自らの生を生きていくことができるのだ、という感覚を取り戻すこと、 それは、困難がなくなるとか、そういうことではないのでしょう。 そうではなくて、困難がいかなるものであろうとも、 わたしが、わたしとして、生きていくことができる。あるいはそう信じる。 面白そうと思われた方は、ぜひご自宅で、試してみてください^^ 長文お読みくださり、ありがとうございました。

「間」について

よく、間(ま)が良い、とか、間を持たせる、間を置く、なんて言います。 この、日本語に独特の、「間(ま)」って、一体何なのでしょうか? 岩波古語辞典は、「間」について、次のように書いています。 「連続して存在する物と物との間に当然存在する間隔の意。 転じて、物と物との中間の空隙・すきま。 後には、柱や屏風などにかこまれている空間の意から、部屋。 時間に用いれば、雨マ・風マなど、連続して生起する現象に当然存在する休止の時間・間隔。 また現象・行為の持続する時間の意。」   つまり、古来より、日本において、「時間」ということと「空間」ということが、「間(ま)」という一つの言葉によって認識されていた、ということがわかります。   不思議だと思いませんか?   実は、それを考えるプロセスにおいて、大きなヒントとなったのが、建築家、磯崎新さんによる著書『見立ての手法』でした。 彼は、古代の日本人が、空間を認識するために、可視的な自然を分節化していったこと、そのための手がかりとなったのが、太陽の運行であったことを述べて、こう言います。 「<カミ>のモデルとして意識されたのが太陽で、その運行が時間と空間を大きく分節した。ひる/よる、明/闇、神界/冥界などで、その分節のしるしを自然界の中にさがした。神体山、いわくら、神木のようなシンボルである。ついで、その空間は微視的には一種の霊魂で充満しているとみられた。それが<カミ>で、一定の手続きを経て<よりしろ>と呼ばれるシンボルに降臨する。四隅にたてられたポールやたんに張られた縄が場所を指示する。常時は空洞でしかない囲われた空間に、<カミ>が出現するとみられていた。・・・空間はそのなかで発生する出来事を介して感知されていた。時間を介してのみ空間はとらえられていたといってもいい。」   すなわち、彼は、わたしたちが、ここは聖なる場所、と決めた場所において、<カミ>を呼び起こすということ、そのプロセスそのものが、この日本という地において、時間、ということと、空間、ということが認識されたはじめだというのです。     でもそのことを知ると、なぜ、日本において、八百万の神、ということが言われたのかがわかりますね。 毎日、太陽が東から登ってきて、西へ沈む。 現在のわたしたちは、地球が自転しているから、太陽が移動しているようにみえることを知っているけれど、当時の人々にとって、それは神秘そのものだった。 そしておそらく、太陽は、あの山から、あの岩間から登ってくる、あるいはあの海から登ってくる、そういう感覚だったのではないでしょうか。 だからこそ、わたしたちは、太陽が昇ってくる山を神体山と呼び、岩をいわくらと呼び、そして地平線の彼方から太陽がのぼってくる、あの海の向こうに常世の国、ニライカナイがあると信じた。聖なる時を呼び起こす空間であるからこそ。   踊る、という行為も、きっと、当時は、聖なる「間」に捧げるために、行われたのではないかと、ふと思います。   今日も長文お読みくださり、ありがとうございました。