赤山禅院の赤つつじ

暑さの増すこの頃です。 今日は生徒さんが来て、あまりに暑いので浴衣で「鶴亀」のお稽古をしました。 何度やっても難しいと思う「鶴亀」です。基本的なものこそ、本当に気を入れてお稽古しなければいけませんね。 写真は、先日お参りした、赤山禅院にて。赤つつじが鮮やかでした。   It is getting warmer and warmer these days. Today I had a student coming and practiced TSURUKAME or “Turtle and Crane” in yukata, not in kimono as it was almost hot! It is a celebratory dance that it is depicting an ancient Chinese capital where legendary turtle and crane areContinue reading “赤山禅院の赤つつじ”

庭の桜が咲きました!

今年も庭の桜が咲きました。The cherry tree in my garden bloomed this year. 「光のどけき春の日に しづ心なく」といいますが、これからの数日は、お天気模様にハラハラとしながら過ごすのでしょう。An old poem says “In this calm and peaceful spring sun, the flowers are falling without calm mind.” We will spend our next couple of days worrying about the weather and scattering flower petals. 奉納舞も、明後日、明々後日と迫ってまいりました。The dedication of dances are coming close, the day after tomorrow. 桜見がてら、この週末はぜひ、貴船神社奥宮、また下鴨神社橋殿にお立ち寄りいただけたら嬉しいです! I hope that many of you come visit usContinue reading “庭の桜が咲きました!”

高台寺の遺芳庵

年末をお忙しく過ごされていらっしゃることと思います。 わたしは先日、久しぶりに高台寺に。 こちらの高台寺の茶室、遺芳庵が、実は後世の方が灰屋紹益と吉野太夫を偲んで建てたものとはじめて知って驚きました。 今年の五月は、吉野太夫ゆかりの常照寺(京都・鷹峯)にて「花と箏と歌と舞」を催させていただきました。 常照寺も大変すばらしいお寺で、天下の名妓とうたわれた吉野太夫の寄進された吉野門とご本人の墓所があります。 毎年四月に開催される花供養は、いろいろな形式でお茶が楽しめ、また島原の太夫による献茶、そして道中も楽しみ。 来年も行きたいなあと思いつつ。 今年は大変お世話になり、本当にありがとうございました。 来年もどうぞよろしくお願いいたします。 若柳志寿 2017年12月28日 [English Translation] I visited Kodaiji Temple the other day. Then I was very surprised to know that the tea house “Iho-an” in the Kodaiji Temple was actually dedicated to Yoshino-dayu and Shoeki Haiya, a legendary couple in the Edo period. I held “Flower and KotoContinue reading “高台寺の遺芳庵”

縁の会まで、あと二日!

今日は、明後日の縁の会(ゆかりのかい)に向けて、大原の三千院に、写経を奉納させていただいてきました。 お稽古すればするほど、なぜかへたくそになっているようにしか思えない、「地歌 雪」。。 どうなるやらわかりませんが、とにかくやるだけやった!と思えるように、これからラストスパートです!! 明後日、ご都合が合いましたら、ぜひいらっしゃっていただけたら嬉しいです。 詳細はこちらから。    

秦恒平著『花と風』

ようやく梅の花も咲きほころび、そろそろ春の気配が漂う今日。   わたしは、ここのところ、秦恒平氏による評論集『花と風』を読みふけっていました。 「花」と「風」ということに添えて、時代を越えたさまざまな日本文学より抜粋しながら、著者の思うことを書き綴る、という標題のエッセイ。 少しだけ引用させていただくと、 「花はなぜ美しいのかという問いかけに、花は生き死にかつ甦るから、つまり繰返す生命の象徴であり、繰返しの一度一度が新鮮だからと私は応えたのである。・・四季は、花は、桜は、まことに三十回や五十回の一回一回に、一期一会の、無量百千億の凝縮された繰返しの生命を籠めていて、その重さのままに人の心に甦るのである。・・・花が散る、それはいかにも見馴れた平凡な時空の営みと見えていながら、人はそれに常なき世の哀れを知ろうとし、また逆に悠久とも永遠ともいえるようなものの証しを見た。」 わたしは、都合六年(イギリス二年、アメリカ四年)を海外で過ごしたのですが、どうしても日本に帰ろうと思った、その理由は、この「花」の、それも繰返しにあるのかな、と思います。 暦を読むように、秋一番に咲く秋海棠の花や金木犀の香り、厳寒の最中に蕾をつける椿、そして長い間蕾をつけながら、ようやく春になって咲きほころぶ薫り高い沈丁花。 時は流れて帰ってこないのに、毎年毎年顔を出してくれる季節折々の花々は、人を、どうしても、今ここに引き寄せ、そうしてそこにいることを許してくれている、そんな風にも感じています。 そうして、一方、「風」については、 「ところで、「花」と「風」とは仏典に見られる色と空に相当するであろうか。・・・「花」は「風」に誘われてほころび、「風」は「花」を散らして甦りの新しさを用意する。互いに厳しく他とせめぎ合うことなく、そもそも「花」と「風」とが交互に“繰返し”露れて時空の網を永遠に編みつづけるのである。」 先日翻訳が済んだわたしの夫の著書『空(くう)の世界へ』は、瞑想を実践することの恩恵について説いたものなのですが、その中に、「わたしたちの全てが、魔法を持っているのです。わたしたちはそこから生まれ、それを備えて、そこへ生まれます。しかし、現実生活に慣れるとともに、それへの氣づきを失ってしまうのです」という一文があります。 わたしたちが粋に感じて、ときに狂気なまでに追い求める“繰返し”、それは、わたしたちがそこから生まれ、それを備えて、そこへ生まれる不思議を、実感として、体験したいからなのかな、とも思います。 わたしが出演させていただく次の舞台「風流陣」も、あと二十日に迫ってまいりました。 これは、梅、桃、桜、の木の精が、毎年風の神に花を散らされて、今年こそは懲らしめてやろうと・・・という物語。 今、このときに咲く花の、命の甦りを祈りつつ、精一杯舞わせていただきます。まだまだ春の訪れが待ち遠しい京都ですが、ご来場いただけましたら幸いです。 「風流陣」の他にも、大先輩方の出演される、見所たくさんのプログラムとなっております。 どうぞよろしくお願いいたします。 チケットのお求めはこちらから。

花街、島原と、12月10日に開催の縁の会

いよいよ厳しい寒さを感じる今日この頃ですが、いかがお過ごしでしょうか。 わたしはといえば、思い立って、江戸のころは花街(歌舞音曲を伴う遊宴の町)として名を馳せた、京都の島原を訪れてきました。 きっかけは、今お稽古している、地唄舞「茶音頭」。 「・・・廓(さと)は 都の未申(ひつじさる) すきとは 誰が名に立てし 濃茶の色の深緑 松の位に くらべては 囲いといふも 低けれど 情けは同じ 床飾り・・・」 都の未申(南西)の方角にあった廓とは、京都の島原。 (夫ルーディーも付き合ってくれて^^) 今回、実際に訪れて、初めて、島原が、茶に、俳諧に、書に、絵に、と文化文芸の盛んな、風流を好んだ人々の集まるサロンのような場であったことを知りました。 島原の揚屋「角屋」の大広間「松の間」の庭、側面図。 「松の間」正面、臥龍松の庭。 「松の間」の襖絵は、幕末の絵師、岸連山による「金地桐に鳳凰」 茶音頭の歌詞を現代の言葉にすると、こんな感じ:誰が島原の廓の風流を数寄(すき)と呼び、その名を広めたのでしょうか、そこで立てられる茶の湯の色は深緑、その緑の松の位(島原の太夫)に比べれば、囲い女郎の意にも通じる茶のための仕切った空間「かこひ」にいるわたしは、身分は低いけれど、情を理解するという意味では引けを取りません、同じ床飾りではありませんか・・・。 さて、その「茶音頭」ですが、もう三日後に迫る12月10日、大阪の山本能楽堂で舞わせていただきます。地方は、松島弘美さん、井上満智子さん、大濱邦子さん。 立方は、もうお一人が、地唄舞花崎流の家元でいらっしゃる、花崎社季女さんが東京からご参加されます。他に、筝曲が萩原美和子さんと本沢美知子さん。 どれもこれも、見どころのある曲どころばかりです。 師走の土曜日、何かとお忙しい毎日かと存じますが、ご都合が合いましたら、ぜひどうぞ。 「第七回 舞と筝曲 縁(ゆかり)の会」のチケットはこちらから→☆

今日は旧八朔&ワークショップ内容変更のお知らせ

こんばんは。 もう早、長月一日、旧八朔を迎えましたが、皆さまはいかがお過ごしでしょうか?   私は、鈴虫の声を聴きながら、夢中になって、読み耽ってしまっています。 六代目尾上菊五郎の『芸』。 天才的に踊りがうまくて、鷹揚で、上品で。 こんな歌舞伎役者がいたんだなあと。     はあ、とため息をつきそうになりながら、更けゆく秋の夜長です。   歌舞伎と日本舞踊は異なるものですが、一つのものから分かれて生まれました。   天才と呼ばれる方たちの芸を見ると、自分の未熟さがよくわかります。ますます精進せねば、と思うばかりです。   さて、お知らせしていた「秋分の日のワークショップ」ですが、諸般の都合で、コラボではなく、私単独での開催となりました。 ついては、以下に内容を変更させていただきます。   秋分の日のワークショップ「日本舞踊と見立ての文化」 9月22日(祝・木) 午後1時~4時  参加費:5000円 (浴衣をレンタルされる方は、別途1000円) 会場:東京都北区西ヶ原 *詳細は、お申込みいただいた方にお知らせしています。     日本に古くから伝わる、「見立て」という文化について紹介させていただいた後、日本舞踊の最も古い形式を含む、御祝儀舞「鶴亀」を皆で踊ります。 最後に、「見立て」の手法を使って、参加者お一人お一人だけの舞を舞っていただきます。   荒々しい自然と、限りがあって限りのない、永遠の時間と向き合った、古代の人々によって編み出された、「見立て」。 それは、闇から生まれて闇へと消えていく、霊魂を招魂することによって、彼らの生を生きぬくための方法でした。   現代という時に生きる私たちが、私たちの生を見つけていくために、 このワークショップを通して、今を生きるヒントを、得ていただけたら。   お申込み、お問合せは、お問合せフォームより、どうぞよろしくお願いいたします。  

祇園祭の季節その他もろもろ

こんばんは!三連休の中日ですが、いかがお過ごしでしょうか? 京都に住む私にとっては、コンチキチン♪の祭り囃子に心躍る昨日今日でもありました。 上は、「岩戸山」の山鉾。 こちらは、「船鉾」。 私は祇園祭は二度目、でも、「岩戸山」の山鉾を見たのは、今年が初めてでした。 そこで、天照大御神に初めてお目見えしました。 天照大御神(真ん中)、手力雄尊(たぢからおのみこと)(左)、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)(右)が祀られています。 話には聞いていたのですが、天照大御神は本当に男神であられた!!ということに、わかってはいたんだけど、やっぱりびっくり。 男神だったのですね・・・天照大御神さま。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 古事記には、有名な「天の岩戸」の伝説があります。 太陽の女神、天照大御神がおこもりになられたために、世界が暗闇になってしまいました。 困った神々は、相談し合い、天宇受買命(あめのうずめ)が岩戸の前で踊り舞って、神々がドンチャン騒ぎをしていたとき、何事かと戸をそっと開けた天照に、すかさず神は鏡を差し向けます。 「あなたさまよりも素晴らしい神様がいらっしゃったから、お祝いしているのです。」 鏡に映る、きらきらと輝く神の姿に、それは天照自身であるのですが、一体どのような神が現れたのか、と天照大御神が思わず身を乗り出したとき、さっと手力雄尊が引き出して、世界は光を取り戻しました。 「天照大御神」と「天宇受買命」は、実は一体である、という考え方もあります。 私はそれを、我身を差し出して、踊り舞うことによって、自らの太陽を世に出だす、ということではないかと、自分なりに理解していました。 「踊り舞う」とは、この場合、世に何かを捧げる、ということではないかと。 人によって、何をするかは異なるけれど、何かを通して世のため人のために尽くすことによって、その人の太陽が輝き出でる、そういうことではないかと。 天照大御神が女神であるとされていたために、天宇受買命と一体であるということは、すんなりと受け入れやすいものではありました。 でも、天照大御神が男神であったのだとしたら。 女神(天宇受買命)と男神(天照大御神)もまた、一体であったのでしょうか。 男性性と女性性、そして、祀るものと祀られるものが、一体? そして、その間にあるという、鏡。 相手を見て、自分を理解するということがあります。 あるいは、相手を見て、自分の出方を考えるということも。 陰と陽は、どちらかが極まれば、反転します。 現代は、陰陽の統合が行われる時代、そのように聞くこともあります。 身近な生活を振り返っても、男性の仕事、女性の仕事と分かれていたことが、もう今や、そのように言っていられなくなりました。 男性であろうが、女性であろうが、男性性も女性性も受け入れて、そのときそのときの役割を果たす。 当たり前のようにお料理、洗濯、お掃除をしてくれる男性、とっても魅力的ですよね。もちろん、前に立つべき時には前に立ってリードすることができて、かつ、という条件で。 また、必要なときは、リードすることのできる女性、私自身は、そうありたいと思っています。もちろん、雑多な家事も、スマートにこなしたい。 男性性、女性性というにとどまらず、陰陽ということを考えると、私、ということと、あなた、あるいは世界、というのが、鏡のように、反転するのだ、ということも感じます。 うかつに人の話をしていられない、自分の気づきは、自分そのものでもあったり。 さてさて、あまりに話が長くなる前に(笑) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 先日の舞台、創作能「亀戸の藤」を見に来てくれた、ハーブセラピストでライヤー奏者の、このブログではおなじみ、「自然の声を聴くワークショップ」のじょな魔女さんが、嬉しい感想を書いてくださいましたので、紹介させていただきます。 「舞台… いろいろな刺激をいただきました。 ああ、観に来てよかったな、と思いました。 簡素で、色合いの少ないあの舞台に、色がついて見えてくるという不思議。 その色合いの少なさに、真っ白な装束が「魂」であることを思わせるという不思議。 日本人で良かった、とあらためて思いました。 伊織さんの平和を願う思いが、痛みをもって伝わってくるようでした。 ケイシー叔父様の魂も、喜んでいらっしゃったことと思います。 ・・・ああ、なんだか、まだうまく言葉になりません。 小鼓は、山の神様の音のように聞こえました。 山に入ると、あんな印象の音が、透明に聞こえている気がする。 三味線があんなに豊かに情景を描きだすことにも驚きました。 ライアーをこれからもやっていくにあたって、すごく参考に、というか、刺激になりました。 日本の伝統芸能を生で見ることができたことは、本当に貴重な機会でした。 笛の、鬼気迫るような、風を切るような音も、 義太夫の方の、声の抑揚や迫力も、 自分の内側に眠ったままになっていた日本人の血を湧き立たせられるようでした。」 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ じょなさん、あらためて、ありがとうございます!Continue reading “祇園祭の季節その他もろもろ”