わたしのからだはわたしの魂の社 part 3

わたしが、アメリカはカリフォルニアの、ムーブメントをベースとする表現アート(芸術を、癒しや、コミュニケーション、コミュニティーワークといった多分野に活用させようとする分野)を学ぶ、タマルパ・インスティチュートという学校で学んでいたとき、先生が、 “Own your body.” ということを言っていたのをよく思い出します。 Own Your Body 直訳すると、 自らの身体を所有せよ なのですが、わたしは、これを、「自らの身体(運動)感覚を取り戻せ」、ということだと理解しています。 これもまた、タマルパの創始者であるアナ・ハルプリンが言っていたことなのですが、人の感覚は五感、すなわち、視覚、聴覚、触覚、味覚、嗅覚ということだと誰もが思っています。 そう、身体(運動)感覚は、生きる上で、必要不可欠のものであるにもかかわらず、わたしたちは往々にして、それを意識にとめることもないのです。 アナは、人の第六感、すなわち、五感によってとらえられないものを直感的に捉える感覚は、この身体(運動)感覚に帰するのではないか、とまで言っていました。 それについては異論はあるかもしれませんが、たとえば、階段を上り降りする、砂利道を歩く、混雑した通りの中で人とぶつからずに歩く、などという日常的な運動行為のすべてが、この身体(運動)感覚に頼っていることは間違いありません。 あまりにも身近であるために、ほとんど意識に上ることもない、この身体(運動)感覚が、実は、精神の健康にとってもとてつもなく重要であるということを学んだのは、沖縄の精神病院に二年間働いていたときでした。 その精神病院では、統合失調症や、躁鬱、鬱といった精神の病を患われた患者さんたちが、入院されていました。 統合失調症の患者さんの多くが、人との距離感が取れないということがあるのですが、それは、実は、身体的な困難ではないかと感じていました。 ある患者さんは、他者との物理的な距離感が理解できないために、相手に実際に触ってみて、相手と自分という距離感を探る、ということを、行わなければ気が済まないようでした。 ある患者さんは、自身と他者との境界がやはり明確ではなく、他者が自分の中に入ってくる、という恐怖に脅かされていました。 Own Your Body 彼女には、たとえば、床を叩いてみる、わたしと手と手で触れてみる、叩いてみる、という身体運動を通して、彼女自身の皮膚が、彼女自身を支え、他との安全な境界となっているのだ、ということを体験を通してからだで理解することが、大きな安心につながったということもありました。 実際のところ、現代の社会に生きるわたしたちにとって、日常生活のなかで、身体感覚をきちんと感じながら運動行為を行う、ということは、心がけていない限り、中々難しいですよね。 たとえば、ヨガをされる方は、単にヨガのポーズを取ることだけでなく、そのポーズを取る過程における身体(運動)感覚を、きちんと感じて、そのポーズを取っていらっしゃるのだと思います。 実は、日本舞踊でも、(身体感覚を感じて動くという点では)そうなんです^^ 日本舞踊では、摺り足ということを行うのですが、これは、きちんと身体感覚を感じていなければ、中々むずかしいんです。 足をぴんと伸ばしたまま摺り足をすると、、、 ロボットのような動きになるか、あるいは単にこけてしまいます。 ではどうするかというと、おへそから三本指下辺りにある、丹田という場所に力を入れて、腰を落とし、そうして摺り足をします。背骨はねじり上げるように。そうして、重心が右から左に、左から右に、移動しているのを感じながら、滑るように、歩く。 身体(運動)感覚をフルに稼働させなければ、とてもできないと思います。 重心を感じるということは、日本舞踊では大切なことですが、実は、先に触れたアナも、Gravityを感じて動く、ということをしばしば言っていました。 アナ・ハルプリン自身は、ポストモダンダンスの創始者とも言われる人なのですが(今も存命で教えています)、もっとも現代的なポストモダニズムと、数百年の歴史を持つ日本舞踊につながりがあるということに、驚きます。 長くなってしまったので、ここまでにしたいと思います。 再び、長文お読みくださり、ありがとうございました^^

わたしのからだはわたしの魂の社 part 2

人が絶望するとき、それは、その人が、その人の人生を、どうすることもできない、と感じてしまうとき、といってもよいかもしれません。 わたしたちは、わたしたちの人生を、自分自身の意図によって創造していくことができていると感じているときは、大概のことがあっても、乗り越えていけますよね。 たとえ、それが、失敗したという挫折感であっても、自分自身の手で人生を創造していくことができているという確信があれば、それでも、立ち上がっていくことができる。 そうではなく、自分自身によって、自分の人生をどうすることもできない、と感じてしまったとき、わたしたちは、人生に絶望するのだと思います。 もしそのような状態に陥ってしまったとき、あなたなら、どうしますか? きっと、生きている限り、絶望を経験することは誰にも起こりえるし、そうして、千人いたら千通りの、回復への道のりがあるのでしょう。 わたし自身が、動けなくなるほどの気持ちの落ち込みを経験したとき、行ったことは、やっぱり、「からだをうごかす」ということでした。 わたしのからだを動かす、ということは、極限の状態にない限り、多くの人にとって可能なことだと思います。 それもできない、というときは、ただ呼吸をする。 お腹の中にある空気をできる限り吐き出して、そうして、自然と空気が入ってくるのを感じます。 それを何度か繰り返します。 もっと新鮮な空気が吸いたいと感じて、窓を開けたくなるかもしれません。 開けてください(^^) そうして、できたら、歩いてみてください。 歩く、ということに意識を集中して。 そうして、右足から左足に、左足から右足に、重心が移動するのを、体感で感じてみてください。 かかとから歩くことを心掛けると、重心が移動していることを感じやすいかもしれません。 ゆっくり、時間をかけて、わたしが歩いている、ということを、感じて、経験してみてください。 そうして、ふと止まって、一つ呼吸をしてみて。 そうして、また歩き出します。歩くこと、止まって呼吸をするということを、何度か繰返しやってみて。 次に、自分の周りの空気を感じながら、ゆっくりと、舞うように、歩いてみて。 誰も見ていないのだから、上手とか、下手とか、気にしないで^^ 気が済むまで空気と一緒に舞うことができたら、深呼吸して、座ります。 画用紙とクレヨンがあったら、鉛筆でもいいです、好きな絵を描いてみてください。 子どもの落書きのようなものでも大丈夫。 絵が描けたら、その絵を見ながら、思いついた言葉を裏に書き出してみます。 次に、その言葉を好きなように並べて、簡単な詩をつくってみて。 ちなみに、これは今朝のわたしの「詩」です: 「ツクツクボウシが飛んでいる わたしがいっぱい飛んでいる あなたとわたし ここにいる」 ね、簡単でしょう?(笑) 絶望を乗り越える、ということと、歩く、絵を描く、(簡単な)詩を書く、ということとの間に、大きな隔たりを感じる方もいらっしゃるかもしれません。 そうなのかもしれません。 ただ、わたし自身にとって大切だったのは、わたしがわたしの生の創造主である、という感覚を、わたし自身が取り戻すということでした。 すなわち、いまという時、ここという場において、わたしは、わたし自身の意図によって、呼吸をし、からだをうごかし、絵を描き、そうして文章を紡いでいる。 わたしの人生は、今、わたしにとってどうすることもできないようなものかもしれない、でも、いまという限定された時、ここという限定された空間において、わたしはわたし自身の生の創造主であると。 そうすると、人は不思議な生き物なので、 なんとかなるのかな、と思ってしまう わたしが、創造主 Creator として、自らの生を生きていくことができるのだ、という感覚を取り戻すこと、 それは、困難がなくなるとか、そういうことではないのでしょう。 そうではなくて、困難がいかなるものであろうとも、 わたしが、わたしとして、生きていくことができる。あるいはそう信じる。 面白そうと思われた方は、ぜひご自宅で、試してみてください^^ 長文お読みくださり、ありがとうございました。