よく、間(ま)が良い、とか、間を持たせる、間を置く、なんて言います。
この、日本語に独特の、「間(ま)」って、一体何なのでしょうか?
岩波古語辞典は、「間」について、次のように書いています。
「連続して存在する物と物との間に当然存在する間隔の意。
転じて、物と物との中間の空隙・すきま。
後には、柱や屏風などにかこまれている空間の意から、部屋。
時間に用いれば、雨マ・風マなど、連続して生起する現象に当然存在する休止の時間・間隔。
また現象・行為の持続する時間の意。」
つまり、古来より、日本において、「時間」ということと「空間」ということが、「間(ま)」という一つの言葉によって認識されていた、ということがわかります。
不思議だと思いませんか?
実は、それを考えるプロセスにおいて、大きなヒントとなったのが、建築家、磯崎新さんによる著書『見立ての手法』でした。
彼は、古代の日本人が、空間を認識するために、可視的な自然を分節化していったこと、そのための手がかりとなったのが、太陽の運行であったことを述べて、こう言います。
「<カミ>のモデルとして意識されたのが太陽で、その運行が時間と空間を大きく分節した。ひる/よる、明/闇、神界/冥界などで、その分節のしるしを自然界の中にさがした。神体山、いわくら、神木のようなシンボルである。ついで、その空間は微視的には一種の霊魂で充満しているとみられた。それが<カミ>で、一定の手続きを経て<よりしろ>と呼ばれるシンボルに降臨する。四隅にたてられたポールやたんに張られた縄が場所を指示する。常時は空洞でしかない囲われた空間に、<カミ>が出現するとみられていた。・・・空間はそのなかで発生する出来事を介して感知されていた。時間を介してのみ空間はとらえられていたといってもいい。」
すなわち、彼は、わたしたちが、ここは聖なる場所、と決めた場所において、<カミ>を呼び起こすということ、そのプロセスそのものが、この日本という地において、時間、ということと、空間、ということが認識されたはじめだというのです。
でもそのことを知ると、なぜ、日本において、八百万の神、ということが言われたのかがわかりますね。
毎日、太陽が東から登ってきて、西へ沈む。
現在のわたしたちは、地球が自転しているから、太陽が移動しているようにみえることを知っているけれど、当時の人々にとって、それは神秘そのものだった。
そしておそらく、太陽は、あの山から、あの岩間から登ってくる、あるいはあの海から登ってくる、そういう感覚だったのではないでしょうか。
だからこそ、わたしたちは、太陽が昇ってくる山を神体山と呼び、岩をいわくらと呼び、そして地平線の彼方から太陽がのぼってくる、あの海の向こうに常世の国、ニライカナイがあると信じた。聖なる時を呼び起こす空間であるからこそ。
踊る、という行為も、きっと、当時は、聖なる「間」に捧げるために、行われたのではないかと、ふと思います。
今日も長文お読みくださり、ありがとうございました。
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